Hara's Notebook

はらの雑記帳

マスコミが断罪するということ。

 

 日大アメフト部の話だったり、何でもいいが、報道をみていて、マスコミは断罪するのが好きだなと思う。

 

「我こそは社会正義であり、悪は正さなければならない」といった言葉が聞こえてきそうだ。

 いや、中には、明確に「正義」を振りかざす記者もいる。

 

 しかし、彼らのやっていることは本当に正義なのか?

 

 マスコミは、基本商売である。

 自分がメシを食うための生業である。

 カネに仕事が左右される。それが前提なのだ。

 そんな立場の人間が、いかにも社会正義を振りかざして、自分は正しいと他を断罪する。

 誰のために? 何のために?

 

 彼らが事件を派手にすればするほど、彼らが激しく断罪すればするほど、読者や視聴者は「面白い」と飛びつくかもしれない。いや、飛びつくだろう。

 

 もう一度いうが、事件は、彼らのめしの種なのだ。

 面白くない事件はめしの種にならない。

 読者が、視聴者が、いかに飛びつくかを計算して、事件を選別し、ニュースを提供する。

 何のことはない。事件・ニュースはエンターテインメントなのだ。

 そうやって、彼らはニュースを提供し、読者、視聴者が消費していく。

 

 この陰で泣かされるのは、加害者と被害者、そしてその家族だ。

 あらゆる詮索が加害者・被害の双方の周辺に向けられる。

 静かにしてほしいといっても顧みられることはない。

 マスコミがメシを食えるようにするために、加害者も被害者も、その家族も奉仕しなければならない。

 

 

 と、エビデンスもなく書いてしまったが、改めてデータをそろえて書こうと思う。